誰かの記憶を作品化したら、他者理解は深まらないか?
人間は、実感が伴わない限り変わらない、実はとても素直な生き物だ。
このプロジェクトでは、「誰にでも隠れた側面がある」ことを実感・体感し、「人の面白さ」をフィクションの力を使って実感・体感する機会を作っていきます。
先入観や思い込み、自分のエゴを超えて、新しい他者理解のカタチを模索します。
何にチャレンジするのか?
この世に生きる人々の記憶を、1人でも多く作品化していきます。
①まず、お話を聞かせてくださる方を発見
②お話しながら、共に過去を辿る。
※脚本家のリサーチ力で、その人も忘れていた過去や隠していた思いに到達。
※過去をどう語るかこそが、現在のその人がどういう人でどういう状態にあるのかを教えてくれる。これが、作品の核となる。
※幾度にも渡るインタビューはプロジェクトメンバーに絶えずシェアされ、それぞれの感覚でその人物と向き合っていく(すり合わせはしない)
※哲学担当の清水が哲学的観点からもその人物を考察し、演出家と対話を深めていく。
③作品作り
※決して意味付けしたりメッセージを付与したりせず、話をしてくれたその人の印象と作品の印象を同じくする工夫を。つまり、その人に実際にコミュニケーションしたとして受けるであろう印象を観客自身に起こす工夫を。その印象は、人によって違っているのがいい。多岐にわたる印象を生み出す工夫を(意味付けしない)
※お話してくれた人も作品作りに関わってもらう。ある時の自分に向き合うことで、自分自身を考える貴重な時間を過ごしてもらう。関わる者たち全てにとって、ドキドキする尊い時間。
※実際に本人役を演じてもらったり、過去を絵本として読み上げてもらったり、話をしてくれてる人が「演じてる」状況を必ずシーンとして入れ込む。日常とは違い、どこか奥底に眠る夢を達成してもらう
④作品を、多くの人に見てもらう。
実際に、見てもらう。
※その間喋らないし、チャットなども禁止。携帯も切ってもらい、ただ感じでもらう。観客同士の感覚のシェアは決してしない。
⑤哲学者とともに人間に広げていくトーク
余韻の時間を取った後、哲学者とともに、人間について考える時間。話をしてくれた人を軸に、哲学理論を感じていく。
※「話をしてくれる人」と「自分」しか存在してなかったところに、「人間」や「誰か」「あの人」などが入ってきて、観客の過去や好き嫌いの感覚も絡めていく。(感覚を自分に近づける)
⑥終わり、解散!
なぜチャレンジするのか?
「こんなに誰かの人生は面白いって、みんな知らないの勿体無い!」の初期衝動と、「この世にアーティストが入ったら少し優しい世界になる気がするなあ」の傲慢な思いが合体しました。
このプロジェクトのリーダーである演出家舘そらみは、家を持たない生活をして数年。日々知らない人と赤提灯で酒を酌み交わす毎日です。その誰もの人生が本当に面白いこと!あまりの面白さに、飲み屋で会った人たちの話を、コラムで連載していたことがあります。「こんな面白い人たち仕込みでしょ?」と何度も言われました。いいえ、本当に、誰もの人生、意外で面白いのです。
でもそれを、ほとんどの人は誰にも言わないのです。どころか、自分の人生の面白さに気づいてないのです。
だったら紹介したい、が初期衝動。
加えて、あまり言いたくないのですが、今の世の中は、まるでこの世に一つの正義があるかのように語る人が多く、窮屈だなあと思うことがよくあります。 その窮屈さへの違和感は、コロナ期で止められないほどになり、巻き起こった同調圧力や、大声を放つ人と口をつぐむ人の2分化に、とうとう限界を感じました。一刻も早く「他者の感覚をリスペクトする」という当たり前のことを手に入れないと、地獄のような世界が待ってる気さえします。
他者の感覚をリスペクトするそれは、「他者と自分は全く違う存在である」と実感することがスタートだと私たちは考えます。自分と他人が、どこか同じだと思うから規定したくなる。自分に見せてる他人の顔が全てだと思うから、わかった気になる。全部全部、視野が狭いだけなのに。
人間は素直なもので、体感を伴わないと変わらない、と私たちは思っています。 いくら「視野広げよう!」とか「他者に寛容に」とか「想像して!」なんてメッセージを伝えても、体感が伴わないと意味はない。
だったら、体感を作ろう!そういうの、私たち得意!
の傲慢な思いがここにあります。危機感と傲慢な思いが、今まで現実社会とコラボしようなど考えてこなかった私たちに、このプロジェクトを始めたいと思わせました。
作品では、ストーリーで盛ったりしないし、キャラクター像も作りません。話してくれたその人自身の空気と、作品の空気が同じになるよう努めます。 ドラマチックだから、などの理由で記憶を選抜したりもしません。話し手にとって心を今でも突くもののみを抽出し、観客の体験を目指して編成したりしません。
その人を情報として“知る”ではなく、“出会う”感覚を目指します。技術で凝り固めるのではなく、抽象表現で煙に巻くこともしません。あくまで見やすく観客を選びませんが、決して説明はしません。決して、見た後の感情を規定もしません。感じやすい状態だけは綿密に作り、あとはもうそこに置くだけです。
それらが結果、他人という存在を、今まで例を見ないほど感じ、考え、自分に引き寄せ、人間へのリスペクトを生み出すことを目指します。
なんて傲慢かつロマンチックなことを、決して作品には匂わせません。何かを匂わすことは、作品の解釈の規定の始まりだと思うので。
たくさんのことを言いましたが、作品を通じてどれだけ話してくれた方を愛せるか、をチャレンジするのかもしれません。
どのようにチャレンジするのか?
7月 東京とカンボジアにて、大きめの第1回作品を作成、オンラインにて発表(終了)
カンボジアで25年暮らす狐塚さんの人生を作品化し、ZOOMにて配信も行った。60分の作品は、カンボジアと日本、そして過去と現在が行き来する、新しい形となった。
9月 石川県白山麓にて、小さな作品を多く作成し現地で発表。
石川県白山麓にて、実施予定。過疎化が進む街を歩き、出会った人の話を聞く。同時に、過疎が進みゆく土地の記憶を聞いていきたい。人の記憶と土地の記憶が混じった、今しか作れない作品が多くできるのではないだろうか。一週間程度行う予定。
10月 ①東京とインドネシアにて、大きめの第2回作品を作成(予定)
インドネシアに住む日本語通訳の方の人生を作品化し、オンラインで配信予定(変更の可能性あり)
②東京と熊本にて、大きめの第3回作品を作成(予定)
熊本県にて専業主夫を行う方の人生を作品化し、オンラインで配信予定。(変更の可能性あり)
プロジェクトメンバー
舘そらみ
小角まや
ホリユウキ
鈴木しゆう
鈴木しゆう
俳優。劇団青年座研究所を卒業後活動開始。大村正泰に演技と舞踏、ヤン・スンヒにコンタクトインプロヴィゼーションを師事。2019年より稽古場シェアリングを掲げ、自主稽古場”たね”を開始する。
応援コメント
そのまま大股で場外まで押し出して欲しい。
リーダーインタビュー
あなたの[問い]は、どのような未知の価値に繋がると考えますか?
想像力を持って現実を補完していくこと。 何もわからないということを、知ること。 こんなことに、繋がりたいし、繋がれる気がしています。 まずはだから、観客の反応が分かれる作品を作らなきゃ!「この作品を見てこう感じたのなんて自分だけだろうな」って、そう思ってもらえる作品を作ろう! そうしたら、自分の感覚なんて誰とも同じじゃないこと。 でも、分からない部分を想像するのは楽しいし、癖になるということ。 そんなことに繋がるだろう。 そして、結果どんなに想像したところでそれは想像でしかなくて、事実は決して分からないと、知るだろう。 事実なんて本当はあるんだろうか?そこまでいけたら最高だ。(こんなことは、決して作品には込めない入れない今後口にも出すまい)
あなたの「問いの感性」は、どのような経験を通じて育まれましたか?
私たちは、演出家・俳優など、それぞれの専門分野からずっと、人間の感情・衝動の仕組みに向き合ってきました。何が人にとって気持ちが良いか、何が不自然か、言葉にならない感覚的なものにのみ頼り、私たちは日々作品を作り上げています。 そんな中で痛感し続けるのは、全ての人は固有の絶対的な感覚を持ってるということ。だから、誰かがその人の感覚から外れたとき、世の中の感覚が少し乱れた時、私たちはすぐ気付きます。(なんか変、という抽象的な言葉をよく用います) そんな、違和感から、この問いは生まれたように思います。要は、違和感を顕在化させる、もしくは違和感を取り除いた時、つまり、違和感に自覚的になった時、人々の見え方や世界の見え方は、変わるのではないか、と。
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