取るに足らない“ワタクシゴト”と、いかにして戯れることができるのだろうか?
名簿などを想起すると、名前、名前に紐づく出身地や職業、肩書、強みなど重要とされる情報がずらり。
一番右にそっと身を隠しながらも、それらどこにも分類し難い、優先度の低い情報を受け入れる器、そのようなものではないでしょうか。
わたしたちは、備考欄に辿り着くどうでもよさそうな、無目的な”ワタクシゴト”に対して面白みを感じています。
そこには、世界の切り取るレンズやその人の作家性の欠片が宿っていることを、しばしば目にします。
無目的な”ワタクシゴト”の発露に出会うためには?
無目的な”ワタクシゴト”とどのように遊ぶことができるのか?
そんなことを考えながら、モノ、表現や対話を探究してみているプロジェクトです。
何にチャレンジするのか?
無目的な”ワタクシゴト”、備考欄におさまっているような情報、これを備考欄的なモノと呼んでいます。 備考欄的なモノの発露に出会うためには? 備考欄的なモノとどのように遊ぶとより楽しくなるのか? そんなことを考えながら、モノ、表現や対話を探究してみているプロジェクトです。
なぜチャレンジするのか?
ラベル、セグメントなどには分類できないような、一見どうでもよいような情報に接することが個人的にはとても楽しいものであるからです。 もちろん結果的に、その相手を今までとは違う目線で見ることができたり、その人らしさに辿り着くこともあるかもしれませんが、そういう目的があるのではなく単純に戯れたいのです。
どのようにチャレンジするのか?
今回の3ヶ月で予定している具体的な取り組みは2つです。 ・podcast”私の備考欄”で対話をしていくこと ・みちがい探し2024を制作すること 1つのpodcastでは、知人等をゲストとしてお招きし、その方の備考欄的なものを探るための対話を行います。 「これって私だけ!?と思う現象はありますか?」「あなたにとって無駄だと思うけど、愛してしまうコト/モノは?」などのテーマから端を発して、メンバーが深掘りさせていただく、という企画をしてみています。 2つ目は、”みちがい探し”です。当初想定していた目的から逸脱してしまったこと自体を道違い(みちがい)と名付け、今年見つけたに起きた”みちがい”を様々な方にエッセイにしてもらう企画です。想定通りに進めることが礼賛される中で、想定外の面白さを分かち合いたいという思いでみなさんのエッセイを一冊の本に編む予定です。2023年版を知人など約30名に方にご協力いただいて制作してみており、昨年より充実したものを制作したいと思っています。
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山本 賢
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マスブチミナコ
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占部 奏太
占部 奏太
1999年東京都生まれ。22年入社。
消費財系クライアントのマーケティング支援に携わっています。
本と日本酒と高円寺が好き。
応援コメント
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「女性の強みや魅力は履歴書の行間にこそあるのでは?」
そこから10数年、まさに埋もれる原石のような「その人らしさ」の発掘を生業としてきた私としては、今回のプロジェクトはとても興味深いものでした。
メインストリームよりも裏道を!A面よりもB面を!ゴールデンより「タモリ倶楽部」をこよなく愛する者として。
応援しています!
リーダーインタビュー
あなたの[問い]は、どのような未知の価値に繋がると考えますか?
活動させていただく中で、未知の価値があるのか、より一層わからなくなりました。備考欄的なモノの価値や必要性の主張は不要な気がしているからかもしれません。 目的や価値をセットしたその瞬間から、それは備考欄的なモノではなくなっていってしまう、そんな感覚があります。 ノイズ(価値のないもの)キャンセリングした時間に覆い尽くされそうになる日々の中で、キャンセルされた備考欄的なモノたちが間隙を縫い、静かに存在し続ける。それらは、価値という鎧をまとうことを許されなかった素裸の、矮小な、弱い情報であり続けるからこそ、惹かれてしまうのではないか。 常に価値づけされない、そういう存在であってほしいな、と願っています。
あなたの「問いの感性」は、どのような経験を通じて育まれましたか?
約8年前、私が教育格差をテーマにアクションするNPOで活動していた学生時代の経験がきっかけになっています。その団体では、経済的事情から学習機会に恵まれない子どもに向き合い、直接学習支援をする活動をしておりました。私もある一人の中学3年生の男の子に出会った当時の経験をよく覚えています。
その子は中学3年の夏頃だったにもかかわらず、正負の数の計算やアルファベットを書くことすらままならない状態でした。
一度わからなくなってから今まで約2年間わからない状態が続いていたといいます。
そんな彼に「高校行ってなにかしたいことある?」と聞くと「特に、なにも。」と下向きな表情でボソっと、私に伝えてくれました。
その後、夏から冬まで指導を続けていき、受験の前日彼は私に「だいぶできるようになったからいけそうかも」と自信を覗かせてくれました。
無事に合格が決まり、最後に会う機会がありました。
そして、もう一度同じ問いかけをしました。「高校行ってなにかしたいことある?」
彼は「太鼓部に行って、頑張ってみようと思う」と語ってくれました。
彼のこれまでの計り知れない失敗体験によって深く掘り下げられた溝を少しずつ埋めていくかのように努力ができたという肯定感、その他彼を構成してきた種々の要素があるからこそ発露してきたものなのではないか、とそう思いました。“学力“という強いモノサシでは計れない、n=1的な意志のようなものの発露が美しいと感じるようになるきっかけの出来事でした。
それ以降、社会人になりお仕事をしながら、個人の取り組みとしてその人なりの意志や表現の発露につながりそうな企画をし続けていました。
誰しもがセルフビジョンを持ったり、起業家の方のような大きなストーリーを発露させるシーンを想像している時期もありましたが、様々な方との対話の中でそれほど大それたものではなくとも、誰しものその人らしさが滲み出てしまう場面があるのではないか、そう思うようになりました。
またちょうど時期を同じくして、哲学者のハンナ・アーレントの”人間ひとりひとりが唯一の存在であり、したがって、人間ひとりひとりが誕生するごとになにか新しいユニークなものが世界に持ち込まれる”という言葉に出会い、より一層誰しもがすでに持ち合わせているユニークなモノが発露しそれが他者に影響を与え合い少しずつ特定の誰かによってコントロールしきれない方向に世界がズレていくような光景に強く関心を持ちました。
そのような言葉や考え方と出会った末に、備考欄におさまるようなモノにスポットライトを当てて、探求してみたいと思うようになりました。
QWSステージの発表
新着プロジェクト New Project
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