「退屈な人間など存在しない」ダレン・オドネルによるソーシャル・スペシフィックなアプローチとは

リ/クリエーション

  • #ダレン・オドネル

▼目次

1.あなたは“退屈”な人間なのか?

2.見えざる側面を掘り下げること

3.ママリアン・ダイビング・リフレックスが実践する、ソーシャル・スペシフィックなアプローチ

4.退屈な人々の、退屈ならざる物語

5.個人の集積が社会を変えていく

あなたは“退屈”な人間なのか?

あなたは人を殺したことがあるだろうか? ない? では、宇宙に行ったことは? あるいは、銃で撃たれたこと、投獄されたこと、宇宙人に会ったことは? どれも経験したことがないあなたは、取るに足らない経験ばかりを積み重ねてきた、退屈な人間なのだろうか。

パフォーマンス・アーティストのダレン・オドネルは1993年にアート&リサーチ集団「ママリアン・ダイビング・リフレックス」を設立し、ともすれば“退屈”だと思われがちな市井の人々とともにたくさんのパフォーマンスや映像、インスタレーションをつくってきた。自身の経験を通じ、彼は普通に見える人でも必ず面白い物語をもっていることに気づいたという。

“退屈”な人々に対するダレンの視線を浮かび上がらせるべく2月17日に行なわれたのが、SHIBUYA QWS×Driftersシリーズ講座『リ/クリエーション』のワークショップだ。5時間のプログラムを通じて受講者はまず自らが退屈な人間でないことに気づかされ、会場となるSHIBUYA QWSを飛び出して渋谷の街でさまざまな物語を集めてくることとなった。

ドリフターズ・インターナショナルが渋谷の共創施設SHIBUYA QWSとともに始動したシリーズ講座「リ/クリエーション」。建築やファッション、パフォーミングアーツなどさまざまな領域からゲストを招いて講義を行なう本企画、去る2月17日の講義に登場したのはパフォーマンス・アーティストのダレン・オドネルだ。30年近くにわたって市井の人々とコラボレーションを重ねてきたダレンは、「退屈な人など存在しない」と語る。果たして彼はいかに“退屈”な人々から面白い物語を見つけだすのだろうか? ワークショップの一部始終をご紹介しよう。

見えざる側面を掘り下げること

「今日のワークショップのタイトルは、『退屈な人など存在しない』。わたしはアーティストとしてアーティスト以外の人々とコラボレーションを続けてきました。今日はこれまでの作品について紹介してから、面白い人を探しに街へ出ていきましょう」

そう言って、ダレンはアイスブレーキングとなるプログラムを始めた。まずは選ばれた受講者が見かけだけではわからない自分の経験を打ち明け、共通する経験をもつ人と椅子取りゲームのように席を交換しあう。「バイリンガルの人」「映画『パラサイト』を最近観た人」「今朝パンを食べた人」…自身のアイデンティティにかかわるものから日常の些細な出来事にいたるまで、受講者はさまざまな経験をシェアし、お互いの共通項を見出していく。

つづくワークでは受講者同士でペアを組み、「休日の過ごし方」「両親との関係」「自分が変えたいみずからのふるまい」などあらかじめ用意されたいくつかの質問に答えることでお互いを紹介しあっていく。「アートに携わっている人は普通に自己紹介すると自分の作品のことばかり話しがちなんですよね」とダレンが笑うとおり、過半数が日頃からアートやクリエイティブに関わっている受講者の面々は、決められた質問を通じてお互いの見えにくい側面を掘りさげていった。

ママリアン・ダイビング・リフレックスが実践する、ソーシャル・スペシフィックなアプローチ

受講者がお互いについて徐々に理解を深めていったところで、ダレンは自身の活動についてレクチャーを行なった。今春東京で上演予定だった『私がこれまでに体験したセックスのすべて』(東京公演は新型コロナウイルスの影響により公演は中止)に代表されるように、ダレンは人間同士の関係を“素材”として数々の作品をつくってきた。画家が絵の具を、彫刻家が石や金属を使うように、彼は社会のなかで生きる人々の“関係”を使って作品をつくるというわけだ。

「わたしは自分の作品を“ソーシャル・スペシフィック(Social Specific)”なものだと思っています。だからこそ、ともに作品をつくる人がどんな人でなぜこの人たちとつくるのか考えるようにしていて。人々の個別具体的な要素に着目して、個人や集団の衝突を描いているんです」

そう言って、ダレンはこれまでのプロジェクトの様子を紹介していく。初対面の子どもと大人が対話する『子どもたちによるヘアカット』や若者と大人が一緒に散歩する『ティーンエイジャーとの夜の徘徊』など、彼のプロジェクトはしばしば若年層とコラボレーションし、一度きりで終えるのではなく継続的な取り組みへと発展させることを大きな特徴とする。白人と黒人、富裕層と貧困層、大人と子ども――社会のなかで固定された関係性をときに大きく変えてしまうことが、彼が自身の活動を「社会の鍼治療(Social Acupuncture)」と呼ぶ由縁でもあるのだという。

退屈な人々の、退屈ならざる物語

ダレンのアプローチについて理解を深めたところで、ワークショップは実践編へと移っていった。受講者は3人でひとつのチームを組み、渋谷の街へ出かけて“退屈”そうな人々に話しかける。そして彼/彼女らとの対話を通じ、その人の面白い部分を見つけるのだ。

SHIBUYA QWSの入居する渋谷スクランブルスクエアの麓でコスメブランドのショップを探すおばあさんに話しかけるチーム、渋谷駅のホームに佇むおじいさんに話しかけるチーム、タピオカドリンクを買う親子に話しかけるチーム、着ぐるみに身を包んだユーチューバーの様子を眺めるおばさんに話しかけるチーム。そのアプローチはじつにさまざまだ。受講者が見つけてきた“退屈”な人々は、わたしたちが日ごろ街なかで見かける人々の姿と重なってもいるはずだ。

驚くべきは、ダレンが最初にそう宣言したとおり「退屈な人など存在しな」かったことだろう。おばあさんはかつて大学で教鞭をとり方言学を教えていた元教授であり、おじいさんは日本史の研究に情熱を注ぐアマチュア講師であり、親子は高校受験の合格発表を見てきたばかりであり、おばさんは自身も着ぐるみを着て美容グッズを売る経営者だったことが、受講者たちのインタビューによって明らかとなった。彼/彼女らは傍から見るとただの“一般人”に思えるが、一人ひとりがその人だけのもちうる経験をもったかけがえのない存在でもあったのだ。

写真:Yoshikazu Inoue

個人の集積が社会を変えていく

「社会的な現実は、結局のところ個人同士の関係性で説明できると思っています。不平等や性差別はマクロな構造としても存在しますが、複数の個人同士の間で生じていることを考えなければいけません。そもそもひとりしかいなかったら、不平等なんて存在しえないわけですから」

受講者たちの報告を受けてから、ダレンはワークショップを締めくくるべく社会的変革のあり方について語りはじめた。社会科学のいくつかのアプローチに言及しながら、彼は個人同士の複雑な関係性を記述し社会が変わっていく可能性を捉えようとする。なかでもダレンが挙げた「創発」の概念は象徴的だ。

個人の小さな選択が世界を変えてしまうことを例証する「Parable of the Polygons」や「Conway’s Game of Life」といった事例を引きながら、ダレンは社会変革について説明していく。こうした事例は個人の連なりが窮屈な社会を生み出してしまう可能性を示すものでもあるが、渡り鳥の群れの動きのように、ものすごく単純な個同士のインタラクションから大きくて美しいものが生まれることもあるだろう。

「水が1度の変化で氷や水蒸気へ変わるように、エネルギーを足していくとどこかで大きな変化が生じるんです。それは西洋社会が変革のために重要視してきた“革命”と同じ瞬間だといえるかもしれません。だからマクロな変化だけ見ていても何もわからない。小さな変革の集積が位相の変化へと発展していく瞬間こそが重要なんです」

ダレンの語った社会変革のあり方は、日本で暮らすわたしたちの社会を考えるうえでももちろん有効だろう。「リ/クリエーション」の舞台となる渋谷や日本の文化もまた、個人の集積からしか変わりえない。都市の文化とは行政や企業といった大きな存在がつくってくれるものではなく、ここが自分たちの場所だと人々が感じられる体験を通じてしか生まれえないのだから。

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2020年3月に上演を予定していた、True Colors DIALOGUE ママリアン・ダイビング・リフレックス/ダレン・オドネル『私がこれまでに体験したセックスのすべて』は、2021年に延期し開催予定。

表紙写真:Nicolas Joubard
文:石神俊大

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